2013年6月15日土曜日

日本で英語教育が進まない理由



全部読みました。

 

上達しない理由


本当に面白い話ですが、今の黒部を見るとコミュニケーションを優先しても、成績をつけなくても、英語の上達はしません。子供とは自然に一言も会話できません。筆者は一つ忘れていると思います。生徒の習得のことです。どうしても、生徒は「必要さ」を感じないと、習得は絶対にしません。必要さは「得なければ生きられないさま」です。英語を得なければ生きられなくなることがありますか?それがないと、残念ながら英語の習得は不可能だと思います。私は日本語でしかできないことがありますか?日本語話者と交流する、つまり話すことです。英語でしかできないことのない生徒は英語を習得はしません。

そして、非母語でもアイディアなど沢山考えられると思います。私のカナダの日本語の先生はケベコワ人でなくても(日本人ですね)、ケベコワ人フランス語でいろいろ考えることが出来ます。私は母語でない「世界共通エスペラント語」でもいろいろ考えることができます。日本語ですらできます。ですが、それが出来るようになるためには沢山読んだり聴いたりしなければなりません。ほら、今日本語が母語でない私は自分の意見を伝えています。新しいアイディアを出しています。でも、私の日本語能力は未だ中学生ぐらいですから、何十年も勉強した大人のように未だうまく伝えられませんね。

 

シンガポールの話


シンガポールの話は面白かったです。シンガポールを英語にすると、「歴史や文化の薄い国」になるということを筆者は述べます。でも、文化や歴史は、古からの経験を積み重ねて作る活き方です。時々生活する言語が変わります。時々今まで使った言語を忘れて違う言語にすることもあります。イギリス、フランス、ドイツ、その三ヶ所の国はそういう国です。フランスの例を挙げます。

2000年前のフランスは、ガウル語の国でした。今のアイルランドガエリック語に近い言語です。ローマ帝国に攻められて、当時のフランスの民はガウル語を忘れて、経済のより豊かなローマのラテン語を習得し、ローマ帝国に参加しようと思いました。400年ぐらいそのまま続いて、あるとき、ローマ帝国がアレマン族に攻められて、ローマ帝国の各地域は独立になってしまいました。その中で、パリは一つの地域。アレマン族フランク系の団がパリをせめて、団長がパリの王君になりました。パリを中心にして、その王君は周りを攻めて、王国を造りました。王君の言語は古ドイツ語だったが、パリの民族の言語は変わってきたラテン語。王君はパリの豊富に興味があり、パリ語を勉強しようとしましたが、パリの民族も偉くて勇ましい王君に尊敬して王君と交流しようとしました。そこから、古フランス語の誕生。当時の人々はラテン語が出来なくなってきたが、王君と民族は新しい国を造って、新しい文化を生み出しました。言語がゆっくりと変わってきて、今のフランス語と今のフランス共和国になりました。

400年前に、フランスがまだ王国だったころ、5万人フランスから「新フランス」という植民地にやってきました。150年ぐらい経ったら、その5万人が生んだ国はイギリスに攻められてしまいました。新フランスの人々は、フランク団長と違って、英語を勉強しようと思わなかったです。イギリスの文化は新フランスに相応しくなかったと思っていたし、経済的にはイギリスがフランスと変わらなかったから、フランス語で生活しつつ、新フランスの民、現在の古仏系加人の文化を磨くことにしました。230年後、遠くてさびしいところで、誕生したのは一人。私のことです。私の先祖のガウル語とラテン語は全く読めません。その代わりに、現代のケベック州フランス語と、そしていろんな言語を勉強してきました。私の文化知識はガウル語やラテン語が読めないから薄いでしょうか?国際交流サロンの皆さんは「頭がいい」とか「偉い」とか「優秀」とか言ってますから、薄いと思われないと私は思います。

シンガポールは古の文化はありますが、翻訳で触れます。筆者は前年に思うそうですが、そうでしたら、私も残念に思うしかない人間になるでしょう。筆者によると、先祖のラテン語とガウル語のできない私は文化が薄いです。

でも、上に述べたとおり、文化は生き方で、生活です。生活は「現在」の話です。昔の間違いやよっかったところさえわかれば、前へ絶対に進みます。筆者は「死者たちとの共生」と述べています。でも、その人と本当に共生しようと思ったら、現代語に翻訳されたもので出来るのじゃないですか?源氏物語を古文で読もうと思いますか?読む人はいますが、古文は外国語とあんまり変わりません。ちなみに、読むしかないし、その人とは実際に交流できないと思います。

シンガポールの民にとっては、中国語、マレー語、タミル語、その三つはたぶん古文にちがいません。英語にしたばかりなので、シンガポール産の英語の歴史は薄いのではなく、未だ短いだけです。これから造ります。シンガポールは前へ進んでいます。古パリの王君と民族と同じように、交流し始めて、これから素晴らしいシンガポールの民に相応しい文化を生み出すと思います。500年経ったら、素晴らしい歴史になると思います。シングリシュ語までたぶん出来るかもしれません。楽しみです。新しい文化の誕生が面白いです。

そして、筆者の「死者との共生」ということばに、私が答えるのは「現代語と現代の外国語は『生きる人と共生』」。文化を深めるために、死者との交流は大事。歴史は間違えたところを繰り返さないように勉強することで、昔のよかったところをよみがえることです。歴史学者と文学者は古文を勉強して現代の皆さんに伝える役割を持っていると思います。シンガポールがそれを忘れないように祈っています。

ところが、現代人との交流も大事だと私は思います。もちろん、自分の国の現代語は大事。そして、いろんな国では、いろんなことをやってみます。その経験を知るためには、その国との交流も大事です。ですから、私はスウェーデン語を勉強し始めました。スウェーデンと交流しようと思います。英語圏であまり話されていないことを見てみたいです。日本語を勉強し続けた理由も一緒。日本人と交流したいと思いましてね。

文化は古(いにしえ)のことだけではなく、これからも造ることでもあります。

 

日本語の大事さ


日本語の大事さまであっていないと私は思います。日本語が大事だということは私によくわかることです。でも、日本語の大事さは「死者との共生」のためではなく、日本に滞在する人(日本国民)に利益があって日本の国の環境に相応しい国家と社会を作り続けるために大事だと私は思います。現在のことを一緒に考えて日本国と日本国民に相応しい生活を生み出すためだと思います。英語教育はいりません。いろんな言語の教育が必要です。外国語と昔のことば、両方大事です。そして、日本では、日本の共通語になる言語が必要です。そして、その現代語を外国からやってくる人と日本のことをもっと知りたい人に完全に教えることが大事です。恐ろしそうな漢字まで。

私は、そう思います。

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